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黒い鎮魂/ブラック・レクイエム 第8回

【冷戦→ポスト冷戦→湾岸戦争】

植民地支配時代から始まった欧米諸国によるアフリカの地下資源の争奪、確保が、直接間接6人の死に関係していると書いたが、もう一つ重要な伏線があった、それは東西冷戦とその終結、ポスト冷戦という流れ、枠組みだ。コンゴ、アンゴラは冷戦時米ソの代理戦争の場ともなり、陰に陽に熾烈な戦いが展開された。さらにそこに反植民地解放闘争が重なり様相を複雑化させていた。資源に恵まれなかった小国ルワンダの場合は東西冷戦の戦いの場というよりも、旧植民地支配者、ベルギーに対する反植民地、独立闘争であり、そこにツチ族、フツ族の支配、権力闘争が重なっていた。スーダンの場合は、前者とは明らかに違う点がある、それはアラブとイスラムというファクターの存在だ。イギリス、エジプトといった植民地支配者に対する戦いは、あくまでも北部を拠点とするアラブ、イスラム勢力の対南部アフリカ人支配という枠組み中で行われたが、南部のアフリカ人たちにとっては、それは単にイギリス人からアラブ人への支配者の転換でしかなかった。戦いは米ソの東西冷戦という枠組みの中ではなく、北部アラブ、イスラム勢力対南部アフリカ系キリスト教徒の戦いという図式が強くなっていった。東西冷戦下におけるアフリカの戦いは、一般的に旧植民地支配勢力(+アメリカ)と結んだ独裁者に対して、独裁者打倒、解放と反政府を掲げるグループ、勢力が新興のソ連、中国と結び、軍事的、経済的支援を受け、戦った代理戦争でもあった。自由主義対共産主義、社会主義というイデオロギーを全面に出した戦いではあったが、そこにすでに資源支配への野望があったことは疑う余地がない。

西側、とくにアメリカの勝利に終わり、イデオロギーの頸木、規制がはずされたポスト冷戦(冷戦以降)の時代、経済活動の拡大、成長維持への危機感と相まって資源への欲求は一段と強まった。90年代に急激にアフリカ内における紛争が多発してゆくのはそうした世界の流れ、一部の国々の思惑、資源獲得の欲求と密接に関係している。やがて、加速さされた経済活動の拡大は、グローバリゼーション(市場と民主化)という衣を被ってその姿をアフリカにも現す。そのシナリオを描きリードしたのが湾岸戦争の勝者、勝利によって自信を回復した唯一の超大国アメリカだ。湾岸戦争勝利の後、92年、アメリカが中東からアフリカのソマリアへ出て行ったのはたとえ人道的支援、介入という名目にせよ決して偶然ではない。その時すでにアメリカ、オイル・メジャーは莫大な石油探査、試掘のための金をソマリアに投入していた。その直後、コンゴからアンゴラ、さらにスーダン南部に眠る膨大な資源の獲得、再編を目指して描かれ、実行されたのが、先にも触れたが94年の【ルワンダ虐殺】という稀代のシナリオでありプロットだ。

それをプロット(陰謀)と言わないなら、そのシナリオのオリジン、いや全ての始まり、ジェネシスが19世紀末のイギリスと南ア――Round-Table(円卓会議)とDe-Beers(デビアス)のアフリカ支配という野望、壮大な戦略にあったと言っておこう。

後で、トライアングルについて触れなければならない。

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