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黒い鎮魂/ブラック・レクイエム 第32回

【見えない力】

RPFの背後にいてハビヤリマナを暗殺した”見えない力”とは何なのか、誰なのか、それはRPFの背後にいて自分たちの目的(=利益)のためにRPFを利用した外国の力と言っていい(ただRPF自身も自らの目的を持っていた、その利害関係が部分的に一致したということだ)。すでにある程度は触れたが、それはルムンバを亡き者にしたのと同一の力だといっていい。今ここでその固有名詞を挙げるよりも、その後の状況の展開の中からその存在と戦略を読み取っていく方がリアリティイがある。大統領機撃墜の後、第2、第3幕があるとかいたが、それはまたターニング・ポイントといってもいい。撃墜の後、自らのプロットのさらなる完璧を期すために見えない力は次の二つを実行した。

《UNAMIRの大幅削減、撤退》

ハビヤリマナを撃墜、暗殺した後、虐殺の混乱、ルワンダ政府が逃亡する中、RPFの勝利を前提とした内戦に持ち込む、この時、停戦を規定したアルーシャ合意は崩れる。アルーシャ平和合意の崩壊、それは、同時にUNAMIRの駐留、存在の前提が崩れたことを意味する。虐殺の渦中、最も多くの人間が殺されている最中(メディアの混乱、限られた情報源等々によって数字にバラつきはあるものの、虐殺開始からわずか2週間のこの時点で、すでに20〜30万人は殺されたとする見方が有力だ)、4月21日、国連安保理は重大な決断を下した。それは、UNAMIR部隊の大幅削減だ(決議912)。その根拠は、停戦の前提が崩れたというものだ。

兵士をフツ族過激派の手によって殺されたUNAMIRの中核部隊だったベルギーは、すでにルワンダを去っていた(何故一方的に任務を放棄したのか疑問が残る、ベルギー部隊が撤退したらUNAMIR自体が弱体化するのは目に見えていた)。UNAMIR司令官、カナダ人、ロメオ・ダレルの手元には経験も装備も貧弱なバングラデッシュ、ガーナ、チュニジアなどの部隊が残された(初めからUNAMIRの力は弱体であり、期待されていなかった)。だが、安保理による、UNAMIR削減、撤退決議は完璧にUNAMIRを骨抜き、瓦解させるに等しいものだった。

部隊員は2500人から250人に激減させらされた。これは、目の前で暴れまくるフツ族過激派に、もっとどんどん殺してくださいというお墨付きを与えたに等しい。同時にそれはRPFの戦いの正当性を国際社会が保障したということだ。何故こんなあってはならない、理不尽が起きたのか。国連事務総長のブートロス・ガリは、アフリカ諸国と手を組み、逆にUNAMIRの5500人への増強を主張、抵抗した。だがその案はいともた易く葬り去られた。最も積極的に削減に動いた国、それはアメリカとイギリスだ。ソマリアに続いてまたもや、ガリはアメリカに負けた。重しとブレーキを失ったモメンタム(勢い)は、一気に80万人虐殺へと動いた。

アメリカの執拗なPKO部隊増強反対、大幅削減の裏には、ソマリアにおける敗北があると言われているが、しかし、虐殺のスケール、その後の展開を見る時、そんな単純なものでないことだけは確かだ。アフリカ人の命とはいえ、80万人も殺させて得られる利益とは一帯何なのか。歴史は後になって、あの時何故、ということがあまりにも多い、ルワンダ虐殺をめぐる動きにも多くのQ(クエスション)がある。このQは10年後、国際社会の謝罪という形で収められ、答えは未回答のまま棚上げにされた。アメリカのUNAMIR潰しの前にも、国連内部には不可解な動きが多かった。そもそも93年後半、フツ族過激派によるツチ族襲撃が露骨に急増してゆく過程で、UNAMIRの司令官、ロメオ・ダレルが再三国連にルワンダの殺戮拡大、危険性について懸念を示し、速やかな対応を求めたにもかかわらず、国連PKO局のチーフであったコフィ・アナン(後の事務総長)は、真剣に取り合おうとしなかった。

94年1月のファックス事件はあまりにも有名だ。司令官のダレルは国連本部と、PKO事務局に対して、フツ族によるツチ族への襲撃、殺しの増加に対する懸念と迅速な対応を求めるファックス、ケーブルを何度も送った、しかし結果的にその進言と警告は無視され、大統領機が撃ち落され、大量虐殺が始まった。連絡を受け取ったか、取らなかったか、これは後に論争の的になった。

何故彼らは虐殺を”止めなかった”のか!何処からかそうした指令と言わないなら、示唆があったのか・・・?

■次週(11月26日)へ続く

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