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クライング・サウス 〜 Crying South 第6回

【停戦=平和】

オレがパイプラインからホテル≠ノ帰ってみると、入り口に、モスグリーンの軍用トラックと数台のランクルが止まっていた。中に入ってみると兵隊だらけだった。この町の一等食堂!の前には屈強そうな兵隊が立っている。銃は下に向けられていたが、弾帯にはめ込まれた実弾は辺りを圧するようにピッカピカに光っていた。

中庭に張られたフライシートの下にも兵隊たちがたむろしていた。中には赤いベレー帽を被っている兵士もいる。

いったい何事なのか、掃除係りのおばさんを呼んで聞いてみると、
「CDR(コマンダー/司令官)」という面白くもなさそうな返事が返ってきた。SPLA(スーダン人民解放軍)のコマンダーが部下を引き連れて遅い昼飯を食べに来たらしい。オイル・フィールドを控えた割にはこの町のどこにもレストランらしきものは見当たらなかった。このホテル≠フトリ手羽+ナン+豆ライスが最高級なのかもしれない。かなり頼りなく、またあり得ないと、オレは思ったが、しかし生きる世界はどこまでもタフだ。

薄暗い食堂の中で食べているのは、コマンダー一人だけだ。他の兵隊の腹は大丈夫なのか、そんな余計な心配もしたくなる。

かつてのゲリラ、ミリシアたちも、2005年の平和条約(CPA)以降、徐々にゲリラから正規軍へと変化を遂げ、装備も充実し始めてきた。しかしどんなに装備が充実し、着ている服が新しくなろうと、おそらく男たちの戦うゲリラ・マインドはちっとも変わってないにちがいない。南スーダン政府と国連PKO主導(UNMIS/南スーダン派遣国連PKO、兵力約1万。ダルフールはUNAMID)による武装解除など名目だけのセレモニーに過ぎず現実的にはほとんど進んでいないのが現状だ。何せ、前にも書いたようにミリシア≠フ風土だ。国連の甘い言葉に乗せられて一端、武器を手放せば、敵対するグループにあっという間に襲われ命を落とす。最近もそうした襲撃事件が数多く報告され、いたるところから武器を返すよう不満の声が上がっている。

国連の調査によれば依然、南スーダンには320万丁以上の軽火器(主にAK47ライフル)が野放し、あるいは隠され、その3分の1が民間人の所有だという。さらに2006年、武装解除計画によって集められた4000丁のAK47ライフルは結局、ミリシアたちによって取り戻され、その間に起きた戦いで1000人が死んだという。キャンペーンによってかなりの効果を上げた対人地雷の削減、撲滅以上に、この銃、機関銃などの軽火器の現実的削減、撲滅は難しい。農耕民とは違って家畜襲撃(cattle-raid)のような戦いが文化としてインプットされている牧畜民社会において、現状、コミュニティ(家畜、村、財産)を守るのに必ずしも地雷は必要としないが、銃(以前は槍、弓など)は絶対に必要だからだ。この現実はしかし、真の∞平和≠考える時、きわめて示唆的だ。こうした現実に変化を与え、あるいは突破できないかぎり、平和≠フ実現も難しい。現実を素通りして、日本では今、開発≠ニいったアプローチからのみ平和(構築)≠考えてはいないか。背景にある現実政治の学びと理解が欠けている・・・。

スーダンやソマリア、コンゴ、さらにアフガン、イラクのように武器が溢れ帰っているところで平和≠いうのは簡単ではない。当面、アフリカ紛争地帯における平和(peace)とは、停戦状態(cease-fire)のことをいうと思っていい。この前提、認識は大事だと思うのだが・・・・。

【わらぶきの家】

今日は地元の牧師、コミッショナー(地方長官)、コマンダー(軍司令官)、さらに石油採掘が引き起こしている特に環境へのネガティブ・イフェクト(悪影響)を取材することになった。

夜半にもの凄い雨が降った、テントを叩く音がジェネレーターの咆哮と混じりあい最高の夜を過ごさせてもらった。朝起きると、テントの外は晴れ上がり、中庭一杯に日が射していた。いつものように朝飯を食べていると、8時過ぎ、車が来た。現地通貨スーダン・ディナールもなくなってきたので、途中、換金した。ケニヤ人のブローカーがいて換金ビジネスをやっていた。

1時間ほど走ると村に着いた、小さなキャトル・キャンプがあり、朝日の中、子供たちが牛と戯れ、小さな女の子が牛の乳絞りをしていた。さらに村はずれまで車を走らすとわらぶきのしっかりした造りの家があった。コミッショナー・オフィスだという。先客がいて大分待たされた。しかしなんとなく気分が重い、南部の石油、中国の影について取材に来たなんて果たしておおっぴらにいっていいのか、たぶん現在、かなり微妙な問題になっているのではないか、それを考えると、カメラをぶら下げ、そうした問題を直に切りだしていいものか・・・・、それが気分が少し重い原因だった。

40分ほど待った後、先客の用件が終わり少し緊張して中に入ると、中はほとんど暗く、奥のほうの大きなテーブルの向こうに長官が座っていた。その左にアシスタントで牧師兼NGO活動をしているロベルトが座っていた。長官へダイレクトのカメラを使ったインタビューはなしだという。暗くて顔がはっきりと見えない分、なにか、難しさを感じた。その分、ロベルトが話してくれたので助かった。実際、CPA(2005年の南北内戦終結、包括平和条約)締結の以前だったら、北部、アラブ政府のやり方、石油収入独占等などについて歯切れ良く批判できたのかもしれないが、南北で一応統一政府を作っている現在、長官も政府の人間である、あからさまな批判はできない、ましてや石油に関しては微妙かつ複雑である。条約の中のwealth-sharing(富の分配)≠フ項で石油収入は南北、50%づつをシェアすることになっている。その点では理屈上は南部にも相当の石油収入が入っているはずだし事実、少しづつ、金は入り始めている。ただしそのすべてはジュバにある南部政府(GOSS)のコファー(金庫)に入る。

問題は、そこからスムースに地方に金が流れず、地元の開発、発展に寄与していないことにある。南部政府の汚職、腐敗もささやかれている。

そこに長官の大きな悩みがある。かつてのようにあからさまに北部、ハルツーム政府も批判できない、さらに金が流れないからといって表立って南部政府批判をするワケには行かない。しかし長官の前には厳しい現実-----貧しさ、外国資本による乱開発、環境汚染等々-----がある。

それが、分かっていながら、カメラの前で声を大にはできない。ジレンマといっていい。かれの最大の思いは、自分たちの土地からでる石油の収益を使って、地域の開発、発展を進めること。学校、病院、道路の建設、そして電気、きれいな水の確保等々。しかし今、その地元、自分たちのところに十分に金が回ってこない。その間にも貴重な液体の財産は今までみたこともなかったような男たちに持っていかれる。わらぶきのオフィスに座る男の苦悩は深い。

その代わりといっては何だが、ロベルトは喋った。とくに、中国の石油採掘によるネガティブ・イフェクト/環境汚染、地元に貢献してないことなどについて怒りを込めて話した(遅れたが南スーダンの人間は、以前教会(missionary)が教育も行っていたので流暢な英語を話す)。

基本的ブリーフィングを受けた後、オレたちは現場へ向った。

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