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黒い鎮魂/ブラック・レクイエム 第12回
【ラバー・テラー(ゴムの暴力)】
ここからしばらくは多分胸糞が悪くなるかもしれない、だが仕方がないのだ、富が正義で、金が全てである限り・・・・、現代はこうした地獄の中から生まれたのだから。
オレは以前タンザニアの国立公園の小さな川で一頭のカバが死んでいるのを見た。カバの腸は大半が食い尽くされていた。カバの肉自体、以前ザンビアの村で食べたことがある、赤身の多いどこか水っぽさがあり、これといった味は感じられなかった。数頭のハイエナが大きな腹の中を出たり入ったりして貪り食っていた。だが、皮はほとんど手付かずだった、まるで小山のように皮は丸く盛り上がり、異様な眺めだった。2日経っても3日経っても皮はそのままだった、不味いし硬いのでさすがのハイエナも食わないとドライバーは言っていた。
何故オレはここで唐突にカバの話をしたのか。それは、野性のゴムから巨万の富を得るための欠かせない小道具の一つにカバの硬い皮が一役買ったからだ・・・・。コンゴの森中に広がった「ただ」の野性ゴムを集めるには、ただひたすら多くの労働力、つまり人間が必要だった。ここから奴隷狩にも劣らない人間的悲劇と残虐性が始まるのだ。読者はこうしたことが未だに鎮魂されることなく、報われることなくただ一方的な白人の暴力の犠牲であったことを知るべきだし、また、それを知った時、したり顔にルムンバのあの発言(「あなた方の猿ではない」)を自己感情のコントロールのできない過激で未熟な一政治家の発言であったと簡単には、批判できないはずだ。コンゴのジャングルの中で何があったのかについて、その多くは先覚たちの調査、著書、とくにアダム・ホスチャイルド氏の『KING LEOPOLD,D GHOST(レオポルド王の亡霊)』に拠るところが多い。
恐るべき附合というべきか、ゴムはフランス語で「caoutchouc」という、語源は南アメリカのインデアンたちの言葉で、「泣く木」を意味していた、それは人間を泣かせていたからなのか、それとも植物的特長からなのか知る由もないが・・・。コンゴで泣いていたゴムの木(Landolphiagenus)は、南米のジャングルのとは異なり根元の太い幹に巻きつき、蔦となって絡みつくようにして数十メーターの高さにまで達するという。
ちょうど1900年前後、このゴムの木のおかげでコンゴはアフリカの植民地1利益の上がる場所だった。ヨーロッパにおける需要が伸びるにつれ価格はどんどん上昇し、1890年から1904年の間には価格はなんと94倍にまで跳ね上がったという。
なにしろ耕作も肥料も、何の投資も要らないのだ、ただ生えている野生のゴムの木からゴムの樹液を採ればいいだけなのだ。とはいえジャングルは余りにも広大だ、採取して集めるだけでもかなりの労働力を必要とする。どうやってゴムの樹液を採る労働力を集めたのか、それに硬いカバの皮はいったい何に使ったのか?調べていくとそこに恐るべき、「Rubber Terror System」が浮かび上がってくる。「ゴム暴力システム」は主に二つの柱から成っていた、一つは「人質(hostage)」もう一つは「腕切断(severing)」だ。
まず、Force Publiqueと呼ばれるレオポルドの軍と、そのミリシア(民兵、予備軍、実態はならず者集団)がゴムの木の多く自生する村を襲う、鶏、穀物、家財道具などを略奪し尽くした後、女を奪う、女は人質(hostage)として割り当てた(quota)ゴムが集められた後返される。そうした人質を入れて置く小屋の状態は酷く、食べ物も僅かだったらしい。コンゴ人の人権は無かったに等しい、恐怖と暴力によって村を支配し、ゴム収集の労働力として集められた男たちは全員鎖で繋がれる。こうした襲撃に恐怖と混乱をきたした多数の村人が逃げ惑い、難民と化したという、現在ではアフリカの代名詞となってしまったような難民であるが、実はずっと以前にもあったのだ。ゴムを集める男たち、人質となった女たちには地獄が待っていた。腕の切断、鞭打ち、そしてレイプだ、キリスト教の布教でコンゴに来ていたアメリカ人牧師、シェファードは「殺し屋たちのキャンプ」について次のように書いている、「ゆっくりと燃える薪の下には右腕があった、数えるとそれは81あった、見ろ!いつもわれわれは国に、秩序を守るために何人殺したかを見せるために右腕を切らなければならないのだ」。システム(国家=レオポルド)は、村がゴム収集の労働を拒否した時、その村の人間たちを殺すのだ、殺した証拠として襲撃者(支配者に雇われた同じコンゴ人兵)は右腕を切断して持ち帰り、支配者である役人に見せるのだ、さらにそれは、兵士が銃弾を無駄な狩に使ったり、反乱に使わないことを確かめるための方法でもあるというのだから、想像を絶している。何故、村のチーフが右腕を焚き火で燻していたのかというと、熱帯コンゴは湿気が物凄く腐敗を防ぐためだという。
鞭打ちはある意味でさらに残酷かもしれない、要求量に届かなかった時、命令にそむいた時、男たちは鞭打たれる。この鞭打ちの時に使われるのが先のカバの皮だ、ダメージを与えるという意味ではこれを越えるものはないという。「レオポルドの亡霊」によれば「chicotte(鞭)は悪意に満ちた鞭だ。日干しにされたカバの皮からできた長い紐には螺旋状の鋭い刻みが付けられている。むき出しの尻に叩かれ永遠の傷跡を残す。20回で意識を失い、100回で死に至る。Chicotteはレオポルドの部下、フランスによって頻繁に使われていた」。レイプについては人間として最低の手段としてしかここでは表現のしようがない、強制労働、人質、飢餓、焼き討ち、そして鎖に繋がれた奴隷――「闇の奥(The Heart of Darkness)」、当時の流行作家、ジョセフ・コンラッドをしてそう言わしめたコンゴの闇、人間の心の奥深くに棲む闇の深さはその底を知らない、「こんな光景を目撃して私は生きるのがいやになるほどだった・・・・カヌーの舳先に棒が立っていて、そこに何か束にしてくくりつけているのが見える。彼らが殺した16人の戦死の右手だという・・・切り落とし、煙りでいぶした手を入れた籠が、ヨーロッパ人の駐屯所長の足もとに置かれている。そんな絵が、レオポルドのコンゴ自由国の象徴になった」「手を集めることはそれ自体が目的になった・・・手はそれ自体で価値を帯び、一種の通貨になった・・・しばしば手を掻き集めることが大量殺人につながることにもなった」(コンゴ河)。それは現代の国際法でいう「虐殺(genocide)」には当たらないが、しかし研究者によれば、レオポルドの個人的支配の20年間に、殺戮、飢餓、病気で死んでいったものは1千万人を越すだろうと見られている。それが、ルムンバ暗殺という風景の向こうだった。「闇の奥」のメインキャラクターとして出てくる象牙買い付け商人、コンゴ奥地の駐在人、クルツは「しかし、かれは自身の残虐性、やがて来る死、そして絶望という囁きに取り憑かれ病んでいた」(THE STATE OF AFRICA)という、しかし、本当に病んでいたのはクルツという個人の背後にあってなお欲望の抑制を知らない当時のヨーロッパ、つまり文明自身であった。
「Rubber Terror」は3つの連携によって支えられていた。政府、教会、そして巨大企業だ。未だにアフリカへの賠償はなされていない。