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黒い鎮魂/ブラック・レクイエム 第30回
【フツ族過激派説と空中殺法(撃墜)】
撃墜のことだが、ターゲットを地上で殺さないにはそれなりの訳がある。一般的に地上における襲撃、攻撃には場所の選定も含め多くの障害、リスクが伴う、わずかな齟齬から、敵、あるいは反対勢力からの猛烈な反撃を受ける危険性は大といっていい。失敗すれば襲撃者自身が殺される可能性すらある。さらに悪いケースは襲撃者が捕縛され、プロットの全てが暴露されることだ。しかし地上襲撃にはメリットも大きい、特にクーデタなどの場合、全面的に自らの存在=パワーを誇示しようとする時、明らかに地上からの攻撃、襲撃の方が優れている、敵方の主要人物、施設の捕獲、確保等へスムースに移行、展開できる。撃墜はきわめて閉ざされた、完全に秘密に近い最終手段といっていい、ターゲットも絞り込まれる。しかも今回のミサイル発射、撃墜はさらに秘密の完璧を期すために、夜の闇が選ばれている。闇夜と撃墜、犯人たちがいかにばれないように神経を使っていたかがわかる。そうした行動は、大衆への力の誇示が不可欠な全面展開的クーデタには馴染まない。
そうした点からも、結論が先になってしまうが、身内のフツ族過激派、特にAKAZUを中心としたメンバーによるクーデタ説は採りにくい。クーデタであれば犯行側は、多くの大衆の支持を得るために顔を出し、存在を誇示する必要がある。さらに撃墜の前、過激派内から、数日中にとんでもないことが起きるといった噂が流されたりしたが、虐殺の開始を仄めかしたのであり、撃墜そのものとは断定できない、撃墜というのはそれほど繊細な行動ではないか。さらにクーデタ説、つまりフツ族過激派説の弱い?ところは、ツチ族(RPF)に妥協し過ぎたハビヤリマナ大統領を亡き者にしようとしたというが、それにしては亡き者にした後の計画、受け皿の準備が余りにも杜撰な感を免れない。かりにクーデタであったにしても撃墜と虐殺が一つの戦略として統一されていない。虐殺が政権転覆、奪取という戦略の下に行われていない、殺しの方法他はかなり戦略的であるが、しかし政権奪取に関してはただ混乱の中でうろたえてた感が強い。今回の場合、虐殺は必ずしもクーデタの要件ではなかった。二つは別物だということだ。かりにクーデタであったとしても、起こした側に虐殺の戦略はあったがそのカードの”使い方”についての戦略はなかったということだ。虐殺が進行する中でも、実行グループ、権力の中枢がもう一つ見えてこなかった。AKAZUの中心人物、バゴソラ大佐の一人相撲、ゲーム的対応が目立ち、権力奪取への本格的戦略展開は最後まで見えてこなかった。
ならば、フツ族過激派による犯行でない、クーデタでないとするならば、犯人は誰なのか、もう一つの容疑者、RPF、あるいはそれに関係したツチ族、また外国人?なのか・・・。それについて考える前にもう一つの撃墜それ自身の意味について考えてみたい。撃墜それ自身、確実にさらに大規模な殺戮が起きると予想された環境の下にあっても、強烈な事件であることは間違いない。
撃墜はいったいどのような意味を持つのか。恐らく、ツチ、フツ双方にとってそれは、何らかの合図、引き金、さらには駄目押しといった意味合いを持ってくる。フツ族にとっては、まさに、これまで進めて来た殺し、計画の本格的ペース・アップ、まさに単なる殺戮(massacre)から、虐殺(genocide)段階への移行を知らせる”合図””引き金”として。それは、一部幹部の間では、個々ばらばらの殺しでは、遅く、何時までたってもツチの完全消滅は完成されないという不満と符合する。撃墜があってもなくても殺戮は続いていったが、それ(撃墜)の有無、インパクトは、明らかに規模とスピードを決定付けた。撃墜という合図、引き金によって虐殺は完成されたといっていい。
さらに、もしかりにフツ族過激派にハビヤリマナ大統領が殺されたとしたら、それは、目に見えないある力によって殺されたとはいえない。つまり、ルムンバを亡き者にした力ではないし、『ブラック・レクイエム(黒い鎮魂)』の、鎖に繋がれる必要はないことになる、しかし、身内によるクーデタでないとしたら、ハビヤリマナはフツ族過激派以外のある意図、目的を持った”見えないある力”によって殺されたとみて間違いない。
一方、RPF、ツチ族側にとって撃墜はどんな意味を持つのか、RPF犯行説と相まってかなり微妙で難しい問題を孕んでいる。RPFにとっての撃墜の意味、さらに犯行説とその周辺について考えてみる。一方的武力解決を捨て、ツチ・フツ問題、ルワンダ危機を解決するためのアルーシャ和平合意に積極的に臨んでいたRPFであったが、武力による権力、ルワンダの奪取の野望を捨ててはいなかった。