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黒い鎮魂/ブラック・レクイエム 第29回
【虐殺→内戦→脱出→難民キャンプ出現】
4月から7月までの約3ヶ月間で約80万人のツチ族、フツ族穏健派を屠った後、過激派、一般住民の区別なく200万人を越すフツ族が難民と化し隣国であるザイール、タンザニアへと逃げた。虐殺は時に”100日殺戮”と呼ばれ、そのローテク武器(ナタ、石、棍棒等々)による殺戮のスピードは史上例を見ないと、残虐性と相まって怖れられた。あるイギリスのメディアはそれを”殺しの芸術”と書いた。インテラハームウェの幹部は20分で500人は殺せると豪語した。内戦は祖国奪還の熱い想いに下に鍛え上げられた少数精鋭部隊=ルワンダ愛国戦線と、政権末期、汚職と腐敗、さらにはフランス頼みのルワンダ”政府軍”とでは、戦う前からモチベーション、その士気においてかなりの差があった。
4月10日前後から始まった本格的戦いは7月4日にはRPFの完全勝利によってけりがついた。ルワンダ政府軍は西へ、ザイールへ向けて壊走していった。軍の敗走を目の当たりにして、さらにツチ族の軍隊による報復を恐れたフツ族一般市民もまた、過激派、軍隊とともにザイールへと向った。ここに史上稀に見る規模の難民の大量脱出(Exodus)が始まった。その余りの多さに国境は意味を無くし、24時間開放状態となった。UNHCRのスタッフ、パノス・ムーツイは目の前を動く圧倒的人間の群れに絶叫していた。
国境を越えザイールにたどり着いた難民たちの目の前に広がっていたのは不毛の火山台地だった。西には活火山、ニイラゴンゴ(3470m)が、東側には圧倒的な迫力で4000m近いビルンガ火山群の山々が迫っていた、キャンプはそうした狭間の1500m前後の台地に造られた。水を供給する川はほとんど流れていなかった。岩でできた地面は硬く掘れなかった。だが、太古、アフリカ地溝帯の断層活動で激しく揺さぶられた大地の下には想像を超える量と貴重な種類のありとあらゆる鉱物資源が眠っていた。もちろん難民たちにそうしたことを考える余裕もなければ、財力もない。だが彼らは間違いなく世界有数の鉱物資源地帯、東ザイール・キブ州の地面の上に乗っかっていた。
【撃墜】
虐殺と内戦、難民脱出とキャンプ出現について大まかに見てきたが、次に”撃墜”を軸に犯人、あるいは”見えない力”について考えなければならない。それは主に国内と国外の二つに分かれる。もちろん国内と国外は、時に密接に結びついているので分けにくい場合もある。いずれにしてもここでは、”鎖に繋がれた6人の死”をもたらした見えない力として考える。植民地支配勢力がツチ・フツ神話とそれを基にした対立を創り上げ、やがて多数派フツによる加虐的、暴力的システムへと転化させ、やがて虐殺を完成させたという意味では、見えない力は国内的であると同時に、野の根っこには国外的要因(植民地支配)があったことは否定できない。
現在のところ撃墜犯に関しては完全に断定、確定されていないが、一般的に二つの犯人像が挙げられている。(1)フツ族過激派説(ハビヤリマナの身内)であり、それは同時にクーデタ説でもある(2)RPF(ルワンダ愛国戦線/ツチ族)説、(1)(2)は暗殺に空中殺法(撃墜)という方法を用いたこと、またその意味、殺戮開始の合図、引き金、駄目押しといった点と密接に関係してくる。直接犯人を考える前に、この2点について考えを致しておくのも無駄ではない。