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アフリカ・フロントラインから見えてきた日本
vol.1 (3)

【ダルエス・サラーム】

もう一つだけ、手短に報告させていただく。
ある時、動物ドキュメンタリーの取材でタンザニアの村を歩いていた。直ぐ側に鉄道線路(タンザン鉄道、通称タザラ)があったのでそこに上がって歩き始めた。ふと下を見るとコンクリート製の枕木が敷かれてあった、よく見るとその一本一本、すべてに「中華人民共和国」という刻印が打たれていた。この線路は2千キロ!先のザンビアの町まで続いている。枕木の数はおそらく数百万本になるだろう。アフリカ人たちは毎日ここを歩き、また汽車に乗る。これほど"リアル"な"インパクト(効果)"はない。

タザラは1970年代、冷戦の時、西側勢力に対抗するために非常に低利の好条件で中国によって建設された。政治戦略性と同時にそれは世界有数の埋蔵量を誇るザンビアの銅をインド洋(港はダルエス・サラーム)に運び出すという重要な役割を担っていた。植民地時代欧米列強が考えたのと同じ発想ともいえる。もちろん中国はアフリカ社会主義の建設、人民友好といったイデオロギーをより前面に出してはいたが・・・・。

当時タンザニアにいた私は、青色の菜っ葉服、麦藁帽子をかぶった中国人たちの姿をしばしば見かけた。かれらは遠くの集団キャンプで豚を飼い、野菜を栽培し、地元のアフリカ人たちと交わることもなく自給自足の生活を送っていた。国家の命令とはいえジャングルを切り拓き線路を敷く労働はかなりきつく、労働者たちの間には相当の不満もあったにちがいない。真っ黒に日焼けし、菜っ葉服に麦藁帽子の男たちはアフリカ人に「チナ」「チナ」と呼び捨てられていた。その時そこにそうした中国(人たち)を一段下に見ていた日本(人)がいなかったとはいえない。私自身がそうであったかもしれない。夕方私が自由にビールを飲んでいるとき、彼らの労苦の汗はアフリカの大地に染み込んでいたかもしれない。今、かつてのようなニュアンスで「チナ」「チナ」と呼び捨てるアフリカ人は一人としていない。かれらは「チャイニーズ」と呼ぶ。残念ながら「ジャパニーズ」という声は巷では聞かれない。

最近、国連を舞台に多角的国家外交を推し進める一方で、中国は2国間交渉の中で自らの存在をアピールし、力を伸ばしてきた。時代は異なるがタザラ(タンザン鉄道)建設はそうした中国の対外戦略、資源外交の原型といえるかもしれない。TAZARA(タンザン鉄道)はアフリカ大陸深くに打ち込まれたドラゴン=中国の楔といっていい。

【フロントライン】

私事で恐縮だが、何故私は40年近くもアフリカと日本を往復するのか。それはそこが世界のフロント・ラインだからだ。先にも書いたように、「人間的危機」から「資源争奪」に至るまで、アフリカにはすべてがある、すべての問題が存在する。だからすべての人間、すべての国々が集まってくる。PMC(民間軍事会社)を巻き込んだコンゴのレアメタル争奪、中国、ロシア、インド、さらにアジア諸国がしのぎを削るスーダンをはじめとした石油資源争奪、さらに本土のテロ活動とリンクしたソマリア沖での頻発する海賊行為。レアメタル、石油、そしてシーレーン、どれ一つとっても日本が無関係でいられるものはない。だが驚くべきことにそのフロントラインに日本の「プレゼンス(存在)」はない。今だに、アフリカは遠くて危ないなどと言っているようでは、追い上げ急なアジアの新興国に破れ去るだろう。「カントリー・リスク」を管理、コントロールできてこそはじめて海外におけるビジネス展開といえるのではないか。

アフリカにおけるテロ活動防止を目的に、今年創設されたアメリカのアフリカ統一司令部(AFRICOM)もテロ活動への対応以上に、アフリカの資源確保、さらに暴走する中国の牽制の意味が強い。

資源だけではない。食料から環境、さらに貧困(格差)とエイズ、そして紛争と援助、人道支援の問題など、そこには学ぶべき多くの政治的、経済的、社会的、そして人間的アジェンダ(課題)、レッスン(教訓)がぎっしりと詰まっている。

とくに私は紛争問題からもの事を見がちであるが、紛争には必ず原因がある、当然「原因の究明」に関しての知的、経験的作業が生まれる。当然国際社会と当事者たちによる膨大なエナジーを投入する「解決」に向けた作業と努力が要求される。これらすべては、問題に関しての情報収集とその分析という作業過程を伴う。多くの人間関係、ネットワークが構築され、そこに常にインテリジェンスの(拡大)再生産がなされる。何より地元、関係している世界の人間たちに多くの知恵(Wisdom)と教訓(Lesson)をもたらす。紛争の停戦会議一つを取ってみても常にギリギリのやり取りが交わされる。ケンカの仕方の一つくらいは学べるはずだ。不幸にしてアフリカはそうした作業と努力を必要とする事例、現場があまりにも多い。逆に言えば常に周囲の人間はそうした問題解決のための実践訓練にさらされていることになる。当然そこに"世界の"スタンダードが生まれる。

だが幸か不幸かそうした場に日本のプレゼンスはない。
そうした場から学び、それを活用するという発想も、アプローチもない。もちろん専門のシンクタンクもない。

確かにこれまで紛争とは無縁な"平和国家"日本は、そうした部分を技術力、勤勉といった分野でカバーし、実現してきたかもしれない、しかし今、世界の現実はそうした技術、物づくり、勤勉といったレベルだけでは解決できない問題に溢れ、技術と勤勉一本で押し切れない場合も少なくない。技術と勤勉を真の利益に変える戦略的フォローがない。仮にトヨタもソニーも世界から退いた時、それに代わる「日本」はどうしたら生まれるのか。

そうした様々なことがアフリカのフロントラインに立ったときハッキリと見えてくる。従来の日米、日中関係の中からだけでは見えてこない世界と戦いがそこにある。しかも、アメリカも中国もそこではメイン・プレイヤーの一人だ。

今のところ快適なパラダイス日本、しかし資源のない島国が内にこもって守りに入った時、その国は内部から腐って行くしかない。生卵を放置しておけば、中から腐っていくのと同じだ。殻は自分の手で破らなければ新しい命は生まれない。それができないとき外からの望まない力で破られる。

元気のない日本国内へも還元できるような形で世界へ出て行く国際化こそが島国の生きる道だ。そこに日本〈国内の〉新たな活力が生まれ、可能性もまた開かれる。

最後に、これらすべては私がアフリカのフロントラインに立った時に個人的に見えてきた日本だということをお断りしておく。

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